忘れないと誓ったぼくがいた

ホントは神林長平の短編も読む予定だったのですが、色々と他の事をやっていたので1冊しか読んでいない休日。「色々と」って言っても、旧miniの在庫や情報を漁っていただけなのですが。冬を考えると厳しいよな〜。維持費もかかるし。
さて本題。ある日を境にヒロインは「突然消えてしまう」という現象に襲われます。その時周りにいた人間は、彼女に関連した事物の「記憶」が失われてしまう。そしてそのうち、彼女という存在そのものを「忘れて」しまう。全ての人々に「忘れ」られて、彼女がこの世界から「フェードアウト」してしまうのは、時間の問題だと思われる。その現象に抗う為、主人公は彼女の「記憶」を留めようとするがーーー。読み進めながら『サマー/タイム/トラベラー』に近い印象を受けました。どちらも「消えていく女の子と、それを追いかける男の子」という設定。「サマトラ」の悠有が「自ら望んで駆けて行く」のに対して、「ワスチカ」のヒロインは「自分の意志に関係なく、消えてしまう」のですが。(つか、勝手に略すな俺)
さて、SF大賞の選評で神林氏が『サマー/タイム/トラベラー』についてこんな風に語っています。

(前略)未来は永遠に逃げていくものなんだな、という感覚を身体的に感じた取ったものだが、この感覚はいまの若者にとってはより切実なのだろうと思う。(中略)ならば、なぜ手を伸ばして勝ち取ろうとしないのか、したり顔で現状に納得してはいかんだろうと、正直なところ腹を立てながら読んだのだが(後略)

本作の主人公は決して「したり顔で現状に納得」してはいません。受験を控えた大事な時期に、自らの狂気を疑いながらも、懸命に走っています。にも関わらず、私はこれと似たような感情を覚えました。
それは何故なのだろう?ファンタジー的なギミックを全て取っ払ってしまえば、このお話は「不条理*1な力によって引き離される男女」を描いたものとして見る事ができます。そしてそれは、著者の刊行記念インタビューで語られている様に「老若男女だれでも「身に覚えのある」こと」でしょう。だからこそ、自分の経験に重ねてしまう部分があるからこそ、主人公の熱意と行動に対してイラついてしまうのだと思います。昔の自分に、もっと何か出来ただろう、方法があっただろうと、思ってしまうから。
こう考えると、著者がこの作品で用いたテクニックは凄いですね。読み手自身の想いや経験を喚起させる作品は多くありますが、本書はより効果的にそれを用いていると思います。作品で描かれている事と読み手の想い出、その二つを併せて初めて成立する作品なのではないでしょうか。
され、書店員的には大プッシュしたい作品にまた一つ、出会った訳ですが、こういう時に限って在庫がありません。なにせ初回配本0冊、すぐに平積み分を追加オーダーしたにも関わらず、入荷したのは1冊です。「その1冊を店員がゲットしてどうするんだッ!!」とお叱りの声が聞こえそう。だって読みたかったんだもーん。増刷してくれませんか<新潮社サマ

忘れないと誓ったぼくがいた

忘れないと誓ったぼくがいた

*1:客観的に見て不条理か否かではなく、当事者の感じる不条理