別に何かを主張したい訳でも問題提起したい訳でも無いのだが。

「オウム」と「911」がゼロ年代決断主義と併せて語られていますが、ふと自分達ー70年代後半〜80年代前半生まれーにおけるビッグイベント「ソ連崩壊」と「湾岸戦争」の位置づけはどのようになるのかな?と思った。
当時10歳位だったか、一連のニュースを目の当たりにした事は、おそらくかなり強烈な刷り込みになってると思うのですよ。ベルリンの壁を市民がブチ壊し、モスクワの市街に戦車が繰り出すなんて「歴史の教科書の中の世界」みたいな事が現実に起こった。共産主義は予めグダグダでダメダメだった事になり、学校の教室では自由主義マンセーを叫ばされた。88VAのディスプレイ上のお話だった「現代兵器大激突祭」は実際にクウェートで発生し、スカッドミサイルをペトリオットが易々と撃墜してみせた(と思わされた)。金だけ払ってケツ捲った日本はボロクソに馬鹿にされ、それは大きな屈辱だと受け取った。社会の流れをキチンと把握出来る訳では無い、しかし全く理解出来ない年でもない、ただ戦争と闘争という行為だけには興味があった男の子が、テレビに齧り付いて一連のニュースを指加えて眺めていた。
世代的なモノと言うより、個人的な話なのかもしれない。いずれにしろ、それ(と、その後に大ハマりした『沈黙の艦隊』)が自分の思考にどのような影響を及ぼしたかを未だ明確に言語化出来ていない訳で、誰か似た様な経験をもつ方が考察を纏めてくれないかなと他力本願寺鉄砲兵団な次第。自分で考えて結論出すべき話なんだけど、なんかいつまでたっても出来なさそうなのよね。