げんしけん終章

アフタ一通り読んだ。「『げんしけん』らしい」終わり方だったな。うんうん。
で、スゲー喪失感なワケですよ。好きな作品が完結すると「終わっちゃったナー」と思うのは毎度の事ですけど、この作品に関してはチョット違う。
俺は今日の今日まで「学生」だったんです。いや、学生気分が抜けてないとか、そういう意味で無くて(抜けてないけど)。この作品がアフタに連載され始めたのが、俺が大学4年の時。単行本が発売になったのが、割と卒業間際。続刊は社会に出てから買っています。
この作品に接している時、自分は笹原や斑目に移入して、学生生活を追体験してる気分になれました。文科系サークル会館の一室で無為に時間を潰した事。仲間と東京まで足を伸ばした事。みんなで旅行に行った事。2学食堂で昼飯を食いつつ、仲間と5限をサボって遊びに行く算段をしてる事。新歓焼肉を天久保池の脇で開催して、脈のありそうな新人を見繕いつつ、可愛い女の子を何としても確保しようと必死だった事。床がグチャグチャになる程の激しい飲み会をしてたのに、コンビニへ買い出しに出かける最中、真剣に恋愛の話を交わした事・・・。そんな風景が、まるで昨日の事のように、脳内へ再現されました。この作品で大して触れていない事であっても。
月に一回のアフタ発売日。年に1、2回の単行本発売日。その日だけは、俺も「げんしけん」の一員でした。学生に、戻る事が出来ました。その「追体験」が、卒業を迎えたわけです。二度目の卒業式、たぶんこれが最後。
アフタの表紙。最初は「笹原視点」だと思ったのですが、後ろにいますね笹原。班目も。読者視点なんですね。でもそれは「読者が、雑誌の表紙を見る視点」では無くて、「げんしけんの一員である読者の視点」なんでしょう。差し出されてる卒業証書の筒は、読者への卒業証書が入ってるのかもね。
思えばこの作品以外にも、『4年生』『5年生』と、大学時代を通じて木尾先生の作品に触れ続け、影響を受けて来た気がします(そちらは単行本で読みましたが)。長い間、素晴らしい作品を提供し続けてくれた木尾先生、ありがとう。

#勢いで下に木尾士目全作品ISBNリンク。ウザイので<続きを読む記法>。
と思ったら、isbnリンクは省略されないのね。ま、良いか。

げんしけん(1) (アフタヌーンKC)

げんしけん(1) (アフタヌーンKC)

げんしけん(2) (アフタヌーンKC)

げんしけん(2) (アフタヌーンKC)

げんしけん(3) (アフタヌーンKC)

げんしけん(3) (アフタヌーンKC)

げんしけん(4) (アフタヌーンKC)

げんしけん(4) (アフタヌーンKC)

げんしけん(5) (アフタヌーンKC)

げんしけん(5) (アフタヌーンKC)

げんしけん(6) (アフタヌーンKC)

げんしけん(6) (アフタヌーンKC)

げんしけん(7) (アフタヌーンKC)

げんしけん(7) (アフタヌーンKC)

五年生(1) (アフタヌーンKC)

五年生(1) (アフタヌーンKC)

五年生(2) (アフタヌーンKC)

五年生(2) (アフタヌーンKC)

五年生(3) (アフタヌーンKC)

五年生(3) (アフタヌーンKC)

五年生(4) (アフタヌーンKC)

五年生(4) (アフタヌーンKC)

五年生(5) (アフタヌーンKC)

五年生(5) (アフタヌーンKC)

四年生 (アフタヌーンKC)

四年生 (アフタヌーンKC)

陽炎日記 (アフタヌーンKC)

陽炎日記 (アフタヌーンKC)