ソーシャルネットワークでの遠慮や配慮やヘッタクレについて。

オンラインのソーシャル範囲が固定化(=クラスタ化,サークル化)してくると、リアル社会と同様に面倒な「顔色伺い」が発生するのは何も今に始まった話ではなく、2ch時代もテキストサイト時代もそうだっただろうし、遡ればパソコン通信だって同様だったでしょう。「遠慮」と「配慮」が高じてちょっとした“1984”が出来上がり、定期的に「二分間憎悪」を始めるところまでが既定路線ですね。


ところで現代のソーシャルネットワーク・サービスは、大抵が「ソーシャル範囲内の情報を任意に取捨する方法」を複数の手段で提供しており、これが辛うじてディストピア形成を阻んでいると自分の世界では感じています。個人的にはこの点に関して、話題単位でのミュート機能を持つGoogle+は大変優秀だと思います。


こうした機能が提供されている以上、目にしたくない情報(や、人間)は自分の責任に於いてフィルタしさえすれば済むし、一方そういう対処を受け入れさえすれば、無駄な「遠慮」や「配慮」ーー例えば他人の目を気にして些細な感情の吐露すら避けるような事ーーは、全く必要無いでしょう。



というような事は散々使い古された言説ではあるのですが。再確認。